不死鳥宣言。
新型コロナウイルス影響下に出された緊急事態宣言が、日本では今日、すべてのエリアにおいて解除されそうだ。
このウイルスの影響期間、深刻な心境に直面した方も多くいらしたと思う。すべての人にとって、一日も早く安寧な状態になるように願う。
緊急事態宣言が出された4月7日の夜、このなでしこ日和から「なでしこの歩き方」をリリースした。
私にとっては、この期間は魔法の時間だった。
そして、それが昨日、覚めた。
*
私が女子サッカーの応援を始めたのは、2011年のドイツW杯、なでしこジャパンが優勝した、あの大会からだ。
応援というより、あの名試合の数々によって、私はもう一度この世界を生きる勇気を与えてもらった。その力を与えてくれた女子サッカーに、私は夢中になった。
この人たちと一緒にいれば、もしかしたらもう一度再生できるかもしれない。おそらく無意識がそう思って、心を振り絞って起き上がり、女子サッカーにしがみついた。統合失調症という精神病の発症から11年目。何も先が見えない、生きているのか死んでいるのかすら分からないような日々の中で、なでしこの光は、とてもあたたかく、強かった。
女子サッカーを知って程なくして私が好きになった選手は、この9年間、ずっと私の心の中に、一緒に住んでくれていた。もちろん、妄想の存在として。
発病でリセットされた精神年齢は、応援を始めたとき、発病からの期間と同じ、11歳だった。
まだ幼い私に彼女は、大丈夫だよ、と言い、一緒においでと言ってくれた。私は彼女に向かって、自分の感情を少しずつ取り戻していった。彼女を好きになった。
私の精神年齢が一年に一歳ずつ歳を取るにつれて、私は自己主張が強くなり、妄想の彼女にきっと窮屈な思いをさせていたのだろう、喧嘩もしたし、精神的に窮地に陥るような言葉を投げかけられていた時期もあった。
本当は、人を、そんなふうに心に住まわせてはいけなかったのだ。でもおそらく、それをしなければ、私の中で、人に対する心が再生することもなかっただろう。妄想の彼女は、私が心から安心できる、唯一の人だった。
なでしこに出会ってから今までの間も、私は何度も精神的な窮地に陥った。発病からの多くの時間を、抱えるつらさによって引きこもってきた私にとって、外界というものからのプレッシャーは、いいものも悪いものも合わせて、あらゆる意味で半端なかった。何度も女子サッカーからは離れようとも思った。
そのたびに、私を励ましてくれたのは、どんなに負けても、うまくいかなくても、また次の試合、戦う意志を持ってピッチに現れる、本物の彼女だった。彼女が本当はどんな人なのか、どんな気持ちで戦ってきたのか、私は知らない。ただ、とても静かに見えるその戦う意志に、私は本物の強さ、生きる強さを感じていた。
妄想の彼女と同じ姿をした本物の彼女がピッチに現れ、走り出すたび、私はもう一度、自分も顔を上げて、前を向こうと思うことができた。
それでも、私は何度も虚無に食われそうになった。それは薬の副作用だとか、体力・精神力に対する過剰な疲労だとか、自分ではコントロールのできない理由で、何度もどん底に落ちた。
私が、そのたびに再生する姿を見て、「不死鳥みたいだね」と笑ってくれた仲間のサポーターがいた。
そのくらい私は何度も穴に落ちた笑。
元々完全な文化系である私が、この不死鳥マインドを得られたのは、まさにスポーツ、とりわけサッカーのおかげだったのだと、昨日ある記事を読んでいて気づいた。
「サッカーはとても理不尽な競技です。足を使う競技なので失敗も多く、手を使う競技ではあまり見られないオウンゴールも起こりやすい。接触プレーもあり、気をつけていても、もらい事故の怪我が起きてしまいます。また、監督のコンセプトに合わないと、どんなに結果を出しても試合で使われないこともあり、心の折れやすい側面を持つ競技です。立ち直る力を私は『リバウンドメンタリティ』と呼んでいますが、その力が強い選手は長期間活躍できるというデータがあります。」(SHUKYU Magazine 7 J.LEAGUE ISSUE「Question to J.League」)
これは、SHUKYU Magazine という雑誌に掲載されたJリーグの村井満チェアマンの言葉だ。
スポーツマンは、そして特にサッカー選手は、この「リバウンドメンタリティ」を持っていると私は考えている。
この力は、何もスポーツにおいてのみ効力を発揮するわけではない。この私がそれを証明しているように、心を病んだ人をも救う力があるのだと、これまでは予感でしかなかったものが、確信に変わった。
現代は、頭ばかりが先行し、身体の大切さが見落とされていると感じる。
身体と心はダイレクトに繋がっている、そのことを理解している人は多いと思うが、主に心が身体に影響するという、片方の側面ばかりが強調されているように思う。本当は、身体が心に与える影響だって、同じくらい大きいのだ。
身体を使うということ、自分の身体を十全に使う、そして生きるということ、その大切さを、きっとスポーツは、そしてこのリバウンドメンタリティがふんだんに必要なサッカーはきっと教えてくれると、今の私は思っている。
すべての人にサッカーファンになれと言っているのではない。リバウンドメンタリティを学ぼうと言っているのだ。
もしかしたら、今引きこもりの人、自殺を望む人たちの心を、この「身体を大事にする行為」そして「リバウンドメンタリティ」を養うことで、救えるかもしれない。
サッカーのコアな部分に集まる人というのは、選手サポーター指導者運営すべからく、おそらくサッカーが何らかの意味で必要な人だと思う。
昨日、私が魔法の時間から覚めたと言ったのは、自分にとってサッカーは、これまでのような感覚では必要なものではなくなった、と気づいたからだ。
サッカーのことは、そのややこしすぎる困難さにおいて大好きだし、大切にしたいという気持ちも、この魔法の時間の間に芽生えた。
でも、私がもし、まさにリバウンドメンタリティのためだけにサッカーを必要とするなら、私は常に精神の闇に飲まれていなければならないことになる。そんなことはごめんだ。
そう思えた私は、おそらく本当に回復したのだろう。
回復の証拠に、この魔法の時間に、私は20年ぶりに他者に会った。
これまで、周囲にいる人というのは、失礼ながら、家族も含めて、遠くで鳴る環境音楽のようなものだった。
発病した私には、対人関係を営む力は残っていなかった。そこから長いときが経った。
今となっては唯一の家族である母親や、発病当時の同居人、そして少しの古い友人と、サッカーで出会ったたくさんのサポーター仲間、そして妄想の彼女と本物の彼女。私に関わってくれたすべての人は、ずっと、遠くから私の心をマッサージしつづけてくれていた。
「なでしこの歩き方」を作る際に周囲に相談をしたのが、ここに至る最初のきっかけだったようにも思う。
妄想の彼女は、最近、私の中からいなくなった。彼女は夢の中で「安心していましたよ」とにっこり笑っていた。
そして私は、本物の他者=環境音楽でも妄想でもない人に会った。
その衝撃は想定を遥かに上回った。
私はずっと自分ひとりの世界にいた。そこから見える景色は、すべてが一人称で、一人称によって見える世界でしかなかった。
それが、いきなり外界が視界に入ってきて、私は気づくと三人称の世界に立っていた。
遠くの景色が、目に入るようになった。
自分が世界のどこにいるのかが、漠然とではあるが理解できた。
そして、この私が女子サッカーで9年間やってきた活動が、どのくらい、サッカーの世界にとってとんちんかんな場所にいたのかということも、理解した。
いやー、マジで? 私こんなところから何やってんの??笑
そう思ったら、また地獄のように落ち込んだ。
今日、その私を助けたのが、Nikeの広告だ。
「どんな逆境でも、私たちは逆転する。」
「No matter what we're up against, we are never too far down to come back. #YouCantStopUs」
これぞリバウンドメンタリティ。
Nikeに助けられるのは二度目。
2016年夏、メンタルクリニックからの帰り道に、いつものように落ち込んでいた私は、路地のガラス張りに貼ってあったNikeの「#身の程知らず」の広告を見た。
「運命なんてただの言葉。
誰もが無限の可能性を持って生まれてくる。
なのにみんな、いつしかそれを忘れて、
どこかで拾ってきた限界ってやつに自分を押し込もうとする。
まあ、しょうがない、僕のミノホドはこの位だと。
もっと小さく身を縮めなきゃと。
ぜんぶでっち上げ。ただの思い込み。
誰かのルールでプレイするのはもう終わりだ。
空気を読まずに勝負を挑め。
自分に遠慮するな。
何度でもルーキーになれ。
走れるはずのない距離を走れ。
スポットライトの真ん中に立って世界にきみを見せつけろ。
身の程なんか一生知るな。」
(Nike「#身の程知らず」2016)
精神年齢16歳。身体年齢46歳。二度目の人生では、幼稚園にも各種学校にも通わず笑、先もまったく見えないこの時期に、私はまだルーキーでいられるんだと、思い直した。
そんなわけで、またも不死鳥のように蘇った私は(文化系の人間にこの精神のアップダウンはきついっす)、このとんちんかんな場所から、サッカーに、女子サッカーに寄り添っていこうと思う。
そんな場所から寄り添えるんですか、という深遠な問題もあるが知ったこっちゃない。
勝手にこの場所を耕しつづけて9年、この先も耕して、育てつづければいいのだ。
何が育つのか知らないが、へんてこな花が咲いて、妙な味のする果実が実るかもしれない。
時を同じくして、うちの女子サッカー系のページには、ドメイン設定の関係ですべて繋がらなくなっている。
復旧の手当てを施したが(ついでに価格の安いところに移管した)、反映されるまでは時が経つのを待つしかない。
今、動いているのは、このブログだけだ。
魔法はとけた。それでも人生は続く。
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